忍者ブログ

いらっしゃぃまし。 九州ゎ熊本県カラ発信しておりますー 音楽loveな方又ゎ動物好き~熊本人だぁよって人~…どなたでも大歓迎~
04 2024/05 1 2 3 45 6 7 8 9 10 1112 13 14 15 16 17 1819 20 21 22 23 24 2526 27 28 29 30 31 06
RECENT ENTRY
RECENT COMMENT
[07/22 れ━か]
[07/21 明日香]
[07/21 あすか]

05.19.10:51

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

  • 05/19/10:51

08.12.01:41

ブルハ→ハイロウズ→クロマニョンズの下りを知りたい人に。

THE BLUE HEARTS(1985年~1995年)
ブルハのDISCOGRAPHYならココTHE BLUE HEARTS / ザ・ブルーハーツもっと詳しく知りたいならココ
    
独特のスタイルで、日本音楽シーンに「リンダリンダ」でメジャーデビュー。
以降それまでにないような「劣等感」「反権力」などをテーマとした名曲を次々と発表。多くの若者らを共感、熱狂させた。
解散後も日本音楽界のみならず、様々な分野に影響を与えている。

【ブルーハーツ】
1984年の同時期に、それぞれバンドを解散した甲本ヒロトと真島昌利はお互いの音楽性に意気投合し、翌1985年2月に二人を中心として「ザ・ブルーハーツ」を結成。
同年、彼らのマネージャーをやっていた河口純之助がベースとして参加、翌年に梶原徹也がドラムとして参加。

その強烈なメッセージ性のある歌詞キャッチーなメロディを併せ持つ歌、また甲本のユニークなライブパフォーマンスはインディーズでも徐々にファンを増やしていき、1987年メルダックよりメジャーデビュー。
1stアルバム『THE BLUE HEARTS』から3rd『TRAIN-TRAIN』までの前期三部作はパンクロックやブルースをルーツとしたメッセージ性の強いもので、独自の日本語ロックの世界を構築。

その、1988年に発表した3rdアルバム『TRAIN-TRAIN』が50万枚を超えるヒットとなり、一躍音楽界のトップシーンに登り詰める。

しかし4thアルバム以降は音楽製作方針の違いなどから以前ほどの売れ行きはのびず、晩年はバンドとして機能していなかった。
そして1995年にラストアルバムを一枚出し、解散

解散当時に発売された音楽誌から「河口が新興宗教に没頭し、スタッフやファンを勧誘したことに甲本が怒ったため解散に至った」とされているが、
甲本がのちに語った内容では「バンドを続けるにはある程度の演奏技術が必要。それがあのメンバーでは出せないから解散した」となっている。

とりあえず活動休止となっている間もメンバーそれぞれの音楽活動を続けていた。が最終的にバンドは解散を決定。
しかしレコード会社との契約が残っていたため、ラストとなるのオリジナルアルバム『PAN』をリリース。
そしてラジオ番組で突然の解散を発表した。

それから10年、2005年あたりから、元メンバーが公の場に揃って姿を見せるなど、再び交流が活発化している。


 ●2000年代前半に起こった「青春パンク」ブームでブレイクしたバンドの多くがブルーハーツの影響を強く受けている。

●ブルーハーツというバンド名の由来
意味は無く、誰もが呼びやすい小学生でもわかるような英語で、バンドの音楽性が見えないような名前」からだという。

●デビュー前、甲本宅で真島がバンドのこれからについて真剣に話をしていた最中、甲本が突然その場を離れTV番組『バッテンロボ丸』を見だしたことに激怒した真島は、「こんな物があるからいけないんだ!」とTVを隣に住む甲本の友人・山川のりをの部屋に持っていった。
その時、真島の信用を取り戻す為甲本が作った曲が「リンダリンダ」と「ブルーハーツのテーマ」といわれる。 

●バンド結成当時甲本はザ・コーツ時代の曲を封印していたが、「この曲はいい曲だからやろう。コーツとかブルーハーツとか関係ない、甲本ヒロトの曲だろ?」と真島が説得し実現。

【メンバー】
甲本ヒロト(こうもと ひろと)
・担当:ボーカル・ブルースハープ・ギター
・低音の効いた太い声が特徴。
・たまにハーモニカを吹くがかなりの演奏レベルを持っている。
・ギターもたまに弾くことがある。
 
真島昌利 (ましま まさとし)
・担当:ギター・ボーカル・コーラス
・愛称はマーシー。
・常にシャウトしているかのようなしゃがれ声が特徴。
・他の3人に比べればTV等に出演してもあまり喋らず表情を変えないことが多い。
・甲本とは半々の割合で曲を作り上げた。

河口純之助 (かわぐち じゅんのすけ)
・担当:ベース、コーラス
・ベース以外にも主にコーラスの高音パートを多く担当し、曲に彩りを与えた。

梶原徹也 (かじわら てつや)
・担当:ドラム
・デビュー時からのモヒカンヘアーが特徴。
・バンド活動後期には腰を痛めたこともあり、この時期にはモヒカンを長髪にし結っていたこともある。

【代表曲】
リンダリンダ  ―作詞・作曲/甲本ヒロト。
・メジャーデビュー曲。1987年5月1日にメルダックよりリリースされた。
・未だにカラオケでも根強い人気を誇っている、ブルーハーツをを代表する大ヒットナンバー。
・この曲をモチーフとしたミュージカルが2004年に鴻上尚史の作・演出で作られているほか、2005年にはこの曲を含むTHE BLUE HEARTSの楽曲を全面的にフィーチャーした映画『リンダリンダリンダ』も公開されている。
・シングルとアルバムでは前奏のギターの有無、終盤の「リンダリンダ・・・」の部分に違いがあるが、メンバーはシングル・バージョンが気に入っておらず、アマチュア時代からライブで演奏していたバージョンをアルバムに収録し、以後もライブではそのアルバム・バージョンの方が演奏された。

TRAIN-TRAIN  ―作詞・作曲/真島昌利。
・1988年発売で斉藤由貴主演のドラマ『はいすくーる落書』(1989年 TBS)の主題歌。
・サビの部分が歌詞カードに書かれていない。

情熱の薔薇  ―作詞・作曲/甲本ヒロト。
・THE BLUE HEARTS最大のヒット曲。
・1990年の年間オリコンチャート7位を記録。
・『はいすくーる落書2』(1990年 TBS)の主題歌。
・オリコンで初めて、そして唯一1位をとった。
・サビが1コーラスしかないことでも有名。

夢 ―作詞・作曲/真島昌利。
・ドラマ『人にやさしく』(2002年 フジテレビ)の主題歌。
・読売ジャイアンツの高橋由伸選手が打席に立つときのBGMでもある。
・当時、ブルーハーツは昔のように高セールスをあげる曲を出せない状況にあったが、キャッチーなサビを持つこの曲はCMなどにも使われ久しぶりのヒット曲になった。(同時に最後のヒット曲となった)

人にやさしく ―作詞・作曲/甲本ヒロト。
・ドラマ『人にやさしく』の挿入曲。
甲本が前バンド「ザ・コーツ」時代に作った曲。
・真島はブルーハーツ結成前にこの曲を聴いて衝撃を受け、甲本にバンドを組もうと持ちかけたといわれる。
 
青空 ―作詞・作曲/真島昌利。
・当時国際問題となっていたアパルトヘイトについての事を歌っている。
・オリコン第8位。
 
1000のバイオリン ―作詞・作曲/真島昌利。
・当時は話題にならなかったが、2006年、カップリングで同曲のオーケストラバージョンの「1001のバイオリン」が2005年から缶コーヒーのCMで使用され、再評価された。
・映画監督の深作欣二が人生で最も好きな曲」と語った事があり、葬儀の際にも自身が手掛けた映画の音楽に加え、「1001のバイオリン」が流された。

終わらない歌 ―作詞・作曲/真島昌利。
・映画『リンダリンダリンダ』の主題歌。
・歌詞の一部が一般的に差別用語とされているため歌詞カードからは削除されている。
 
僕の右手 ―作詞・作曲/甲本ヒロト。
・この歌のモデルになったのは、甲本の友人でハードコアパンクバンド「GHOUL」の「片手のパンクス」こと※MASAMI(細谷雅巳)だと言われる。
※(小学1年の頃、ダイナマイト遊びをして右手首から先を失い義手となった。89年にステージで倒れ、昏睡状態のまま92年9月に死去)
甲本はMASAMIの追憶ライブで、この曲を泣きながら歌っている。
・映画『リンダリンダリンダ』の挿入曲。

ラブレター ―作詞・作曲/甲本ヒロト。
・初期を代表するラブソング。
・複数のアーティスト(ロリータ18号、つじあやの、など)にカバーされた。
・映画『ラブレター 蒼恋歌』の挿入歌としても使用された。
・真摯なラブソングの割に、PVは全員終始笑顔だったり踊ったりととても気楽な作りになっている(ハワイで撮影)。

ハンマー ―作詞・作曲/真島昌利。
・『人にやさしく』のカップリングで、真島の初期の曲
・甲本と真島が交互に歌う珍しいタイプの曲で真島のサビが印象的。

キスしてほしい ―作詞・作曲/甲本ヒロト。
・この曲のPVには全編アニメが使われ、落ち込んだ女の子を4人が楽しませて慰めてあげるという、心温まるストーリー。

ロクデナシ ―作詞・作曲/真島昌利。
劣等感を前面に出した最たる曲の一つ。
・歌詞では「役立たずと罵られて、最低と人に言われて・・・」で始まり「ありのままでいいじゃないか」「生まれたからには生きてやる」「劣等生で十分だ」と前向きに歌っている。多くのファンが共感を感じ救われた曲。

チェインギャング ―作詞・作曲/真島昌利。
真島がボーカルを務める。
・タイトルはサム・クックの楽曲からとられたもの。
・中居正広が『LOVE LOVEあいしてる』で歌った事でも有名。
・インディーズ時代は、「一人ぼっちがこわいからハンパに成長してきた」の部分が「ごまかしはもうたくさんだ くだらない嘘はごめんだ」と歌われることがあった。

未来は僕等の手の中 ―作詞・作曲/真島昌利。
・ファーストアルバムの一曲目であることから、ブルーハーツの始まりを予感させる曲。
・ライブなどではよく一曲目に歌われた。
・イチローも、メジャーリーグの年間最多安打の新記録達成前の不振時に、試合前にずっと聞いていたという。

チェルノブイリ ―作詞・作曲/真島昌利。
・この曲を発表し社会派バンドと呼ばれるようになる。
・当時所属していたレコード会社(メルダック)の親会社が、原子力発電の事業を展開している三菱電機であったために発売許可がおりず、所属事務所の自主レーベルから発売された。
・ブルーハーツ初の日本武道館ライブで甲本は「自分で調べて、自分の意見を持ってほしい、チェルノブイリ」と前置きして歌った。

TOO MUCH PAIN ―作詞・作曲/真島昌利。
・アマチュア時代からの隠れた名曲。
・以前は真島のアコースティックギターのみの演奏でヒロトが歌っていた。

夕暮れ ―作詞・作曲/甲本ヒロト。
・ブルーハーツ最後のシングル。
・坂井真紀が『LOVE LOVEあいしてる』で歌った事でも有名。

ブルーハーツのテーマ ―作詞・作曲/甲本ヒロト。
・甲本らしいストレートな歌詞が魅力。
・ライブの1曲目の定番。
・冒頭部分の歌い方を変えて歌われることが多かった。

1985 ―作詞・作曲/甲本ヒロト。
1985年の12月24日に行われたクリスマスライブ以降一回も演奏されていない幻の楽曲。
・そのクリスマスライブの来場者全員に配布された、この曲が入った初の自主作成ソノシートにはかなりのプレミアムがついており、東京の某レコード店には破格の10万円で売られているという。
・現在CD、スーパーベストに収録されているので聞くことは可能。
・ブルーハーツデビュー当初のキャッチコピー、「僕たちを縛り付けて、一人ぼっちにさせようとした全ての大人に感謝します」はこの曲の歌詞。
・クリスマスライブでのアンコールの掛け声は「アンコール」ではなく「1985」と客が叫んでいる。

ブルーハーツより愛を込めて ―作詞・作曲/甲本ヒロト。
反戦メッセージの込められたバラード。
・かつてはビデオでしか視聴できなかったが、95年発売のベストアルバム『SUPER BEST』に収録され手軽に聴けるようになった。
・1985年の「世界一のクリスマス」でも既に演奏されており、当時は1オクターブ低い音程で、歌詞も「自由だけでいいよ」で終わっている。



ブルーハーツ、、いーなぁっ
ベスト聴いてみよーっと。

マーシーまぢかっこよぃなぁッ


クロマニョンズの紹介ゎもーいいっか。
一応調べる?…んー。

PR
URL
FONT COLOR
COMMENT
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
PASS

TRACK BACK

トラックバックURLはこちら